タクシーに乗っても、取引先に会社の場所を伝えるときも、「とりあえず後楽園まで行って(来て)ください」というような感じである。
我が母校の所在地は千代田区紀尾井町だが、一般的に「四谷」にあることになっている。なぜなら、四ッ谷駅の目の前だからである。
ところが、四谷という場所は新宿区にしかないので、現実的には千代田区の大学を四谷で表すのは微妙におかしい。
東京ドームも我が文京区にあるのに、千代田区にある駅の水道橋を引き合いに出されるのが一般的である。
「四谷」は、1889年に市制を施行されたばかりの東京市の15区の一つをなすほどの地名であったにも関わらず(実際には、1878年の郡区町村編制法により東京府四谷区が発足)、戦後には牛込区や淀橋区と合併させられ、新宿区といういかにも新しくできた感のある区の一部となってしまった地名である。
ちなみに、現在の京王新宿駅は、現在の名前になる前は四谷新宿駅と呼ばれていた。
要するに、元々は四谷があとから発展した新宿を内包していたにも関わらず、今では新宿が四谷を内包しており、地名の下克上が起こったような感がある。
現代では、東京区部の重心は大きく西に傾いているようなイメージがあるが、かつての東京(江戸ではなく、明治維新後の東京)では、現在の山手線の西側はまだ開けていなかったにも関わらず、逆に山手線の東側は江戸時代以来の人口密集地であった。
その東側の人口密集地が関東大震災で大打撃を受け、さらには東京大空襲を受け、西側に人口が移動していくのだが、四谷区は区内でまともにその人口移動の煽りを受けたような気がしてならない。
四ッ谷駅を降りて新宿側に出ると、すぐに目に付くのが「とんかつ三金」である。
今でも四谷区のままであれば、区の入り口にある店なので、ある意味区の看板的な店である。
このワタクシ、学生時代は、毎日のように(三金のちょっと先にある)コメットというパチンコ屋に通い、たまに勝つと「自分へのご褒美(?)」として「とんかつ三金」でとんかつを食べたものであった。
ちなみに負けたときは、「とんかつ三金」とは大通りを挟んだ向かい側にあった「来来軒」という中華料理屋に行っていた。(その場所は、今では「KFC」になっている)
その「とんかつ三金」が、閉店していたようだ。

「来々軒」、そして「三金」、、、
四谷名物が消えていく。。。
(関連エントリー)
「とんかつ三金閉店。。。(2)」
「迎賓館前」
ラベル:東京