ぱんちょなプロフィール
ぱんちょなスケジュール
ぱんちょなテレビ出演
ぱんちょなつぶやき
ぱんちょな写真集
人気のタグ
iPhone iPad 言語 男女の機微 タイガース 野球 携帯電話
ぱんちょなキャンペーン

2009年10月19日

神田川

 「貴方はもう忘れたかしら〜」で始まる1973年のヒット曲「神田川」。

 「神田川」のあの切ない歌詞と悲しげな曲のせいか、東京にやって来たとき、神田川ってのは、さぞかし川幅の狭い寂しげに流れる小川のような川だと思っていたものである。

 今住んでいるところの近くにも神田川が流れているが、実際には、小川とは似ても似つかないような一級河川である。



秋葉原近く
神田ふれあい橋にて


 自分の中では、「神田川が川幅もそこそこあってまったく情緒のない川なのは、この辺りが下流に近いからだろう」と勝手に思うことにしていた。
 神田川の源は井の頭恩賜公園なので、三鷹市、杉並区、中野区あたりでは情緒豊かに流れているのかもしれない。

 ところが、最近、「二人で行った横丁の風呂屋」の風呂屋のモデルが、新宿区西早稲田の風呂屋であるという話を聞いた。
 西早稲田であれば、このワタクシの住んでいるところからは至近距離である。
 いくら1973年という40年くらい前であっても、早稲田界隈の様子は現在の様子にかなり近いものであろう。

 この事実を知ったところで、名曲「神田川」が色褪せるわけでもない。
 作詞家・喜多条忠の才能に感服するしだいである。
posted by ぱんちょ at 00:00| Comment(12) | ぱんちょなエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最近コメントが過疎ってますなと神田川の上でコメントしてみた。。。
Posted by 私設秘書 at 2009年10月19日 13:42
小さい頃、「あなたは、もう、横丁の風呂屋〜」という歌詞かと思ってました。
Posted by 46 at 2009年10月19日 15:05
まだ生まれてなかったので、話について行けないが…
「あなたはもう忘れたかしら」って、読むだけで悲しくなる歌詞ですね。。。
Posted by miha at 2009年10月19日 23:26
私設秘書さま

>コメントが過疎ってますな

 過疎っているのは、アンタがサボっているからである。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年10月20日 00:22
46さま

>「あなたは、もう、横丁の風呂屋〜」という歌詞かと思ってました。

 単なるアホですな。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年10月20日 00:23
mihaさま

>まだ生まれてなかったので、話について行けないが…

 話は変わりますが、、、
 1985年に阪神が優勝まっしぐらとなったとき、リリアンという歌手が「(阪神タイガースの)優勝を知らない子供たち」という歌を歌っていました。
 確か、歌詞はこんな感じです。(かなりうろ覚え。。。)
 
 優勝を知らずに僕らは生まれた
 胴上げを知らずに僕らは育った
 吉田になって勝ち続ける
 六甲おろしを口ずさみながら
 猛虎の勝利を信じて欲しい
 優勝を知らない子供たちさ

 優勝を知らずに僕らはうまれた
 胴上げを知らずに僕らは育った
 助っ人外人 バースにゲイル
 岡田の歯ぐきに巨人もビビル
 猛虎の勝利を信じて欲しい
 優勝を知らない子供たちさ


 掛布や真弓も歌詞の中に出てきたような気もするが。。。


 で、この歌の前に「戦争を知らない子供たち」(1970年)という名曲があったということを初めて知りました。
 それにしても、阪神ファンの場合、「優勝を知らない子供たち」は、十年に一回くらい誕生する。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年10月20日 00:39
なるへそ〜、面白いっっ!!(いつものことではあるが…)

っていうか、いきなり「話は変わりますが、、、」って、いやにアッサリ変えましたな。。。
Posted by miha at 2009年10月21日 00:35
mihaさま

>面白いっっ!!(いつものことではあるが…)

 当然よ。。。

>いきなり「話は変わりますが、、、」って、いやにアッサリ変えましたな。。。

 突っ込むところもなかったので。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年10月23日 01:24
今でこそ神田川はまだましになっていますが、昭和40年代は公害問題がひどかった頃で、当時の東京の川は殆どドブ川でした。この曲を初めて聞いた当時、私はお茶の水橋の上から見る神田川を思い浮かべ、なんでこんなドブ川の名前なんか題名にしたんだろう?と思ったものでした。

>三鷹市、杉並区、中野区あたりでは情緒豊かに流れているのかもしれない。
情緒があるのは井の頭公園から流れ始めるあたりくらいまでで、そこから下流は全て護岸工事がなされていますから、残念ながら、ぱんちょさんが思い浮かべていたような小川ではないと思いますよ。

>風呂屋のモデル
西早稲田に知り合いがいまして、その風呂屋の話を聞いたことがあります。地元の人にとっては歌詞の舞台になったのは、やはり自慢のようです。しかし、17、8年くらい前にその人の家に遊びに行った時には、もうそこは廃業していてありませんでした。交通量の多い早稲田通に近い所にあったらしく、あの寂しげな歌詞のイメージとは程遠かったようです。

・・・と、夢を壊すようなことばかり書きましたが、もしも昔の東京の雰囲気を味わいたいのでしたら、荒川線に乗ってみてはいかがでしょう?雑司ヶ谷から向原の辺り(だったかな?)は都電の線路沿いに古いアパートが沢山残っていたように思います。まるで昭和の時代に戻ったような感じですよ。それこそ歌のイメージに近いかもしれません。
Posted by ひまひま at 2009年11月18日 17:00
ひまひまさま

 すると、喜多条忠さんは、まったく存在しない神田川を歌詞にしたってことですな。
 恐るべき想像(捏造)力。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年11月18日 20:22
なるほど・・・
ぱんちょさんは、よほど綺麗な川を想像していたんですね。私は実際の川を見ていて、曲を聴きながらそれを思い起こしていたので、さほどギャップはないかも・・・
三畳一間の下宿アパートも、子供の頃はよく見かけましたし。
この歌詞は喜多条忠の思い出ですよね。思い出には紗がかかるものなのかもしれません。。。

私にはこの歌は、学生運動が盛んな頃の当時の若い人が就職して社会に出て、血気盛んだった頃の自分を振り返っている歌なのかな?というイメージがその時からありました。「若かったあの頃、何もこわくなかった」という一節のせいかもしれません。当時、私の周りには従兄弟など団塊の世代の人達が沢山いて、その人達の青春時代を身近に見ていたので自然にそう思ったのかもしれません。

そして後日、喜多条忠がTVで語っているのを見たのですが、彼は学生運動をした時があったそうで、激しい闘争の後、命からがら同棲相手の女性のアパートに逃げ帰るということをしていたらしいです。傷だらけになって帰ると彼女が台所でカレーを作りながら優しく迎えてくれる。そのコトコトという音とカレーににおいに包まれていると、さっきまで機動隊ともみ合っていたことがウソのように感じられる。「ああ、命がけで戦っていても、この小さな部屋に帰ってくるとこんなに平和だ。俺には闘争とは無縁のこういう逃げ込む場所がある。信念を持って戦わなくてはいけないのに結局はそういう平和で小市民な生活を選んでしまうんだろうな」と自己嫌悪に陥り、彼女の優しさが自分を萎えさせる、怖い、と思ったそうです。「あなたの優しさがこわかった」というのはそういう意味だと知り、少々驚いたのを、今書きながら思い出しました。

歌を聴くと、どうもあの暗い時代を思い出してしまいますね。
決して明るい時代ではなかったと思う・・・
Posted by ひまひま at 2009年11月19日 13:03
ひまひまさま

>よほど綺麗な川を想像

 は、していません。
 冒頭に「神田川ってのは、さぞかし川幅の狭い寂しげに流れる小川のような川だと思っていたものである」とあるように、単に川幅の狭い川を想像していました。。。

 喜多条忠さんは、歳を取るに連れてこの歌詞を書いた事を嫌に思うようになり、発言がドンドン変わっているとのことです。
 とはいえ、歌は永遠に残るだけに、本人にとっては辛いところです。

 このブログの中に、こりゃショボいという内容がそのまま残っているようなもんです(?)
Posted by ぱんちょ at 2009年11月20日 17:06
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

このブログの更新情報をメールで一日一回お届けします





ぱんちょに一言
info@aomatsunoriaki.com

@は小文字に変換してください


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。