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2008年01月21日

言語切り替えスイッチ

 このワタクシ、一応相手と会話していてあまり不自由のない言葉が4つある。
 「それは凄い」なんて言う人がいるが、このワタクシからすると、「ゴルフのドライバーで300ヤード飛ばす人」の方が凄いし、「ギターのDというコードの指を他の弦に触れずに弾くことのできる人」の方が凄い。
 要は、人それぞれにある得意分野が言語だっただけである。

 おまけに、大学の専攻が言語学なので、それらの言語&沢山の他の言語の構造分析なんてのは最も興味のある分野である。
 なぜ「I」と「love」と「you」を並べると「私はあなたを愛しています」という事なのかというような「そんな事知るかっ」的な分野を研究していたのである。

 不自由なく話せる言語の「不自由の無い」順番は、日本語>フランス語>中国語>スペイン語>英語である。(とはいえ、TOEICは900点超だが)
 ほぼ世界中の全ての国に行ったが、特に英語なんて話す必要がない限り滅多に話さない。とはいえ、どうしても英語を話す機会は多くはなるのだが、少なくとも「外国に行ったら英語」的な発想はまったくない。パリで英語を話す日本人には嫌悪感を持つくらいだ。
 なお、読解力の順番は、日本語>英語>中国語>スペイン語>フランス語と大きく序列が変わる。

 、、、とここまで書いてこのエントリーのタイトルが「言語切り替えスイッチ」であることを思い出した。
 でも、そんなの関係ね〜。
 多分、「切り替えスイッチ」が出てくるのは相当あとになることを先に書いておく。

 
 このワタクシは、中学校(や小学校)からの英語教育反対論者である。(参照:「小学校からの英語教育なんて」、「小学校からの英語教育なんて(2)」)
 何を隠そう、このワタクシは、英語が大の苦手であった。
 それが不幸にして外国語学部英語学科に入ったものだから大変苦労した。(なぜ英語学科に入ってしまったのかは、こちらを参照:「あれから1300年」)

 とにかく、運動能力というのは基本の反復練習以外はありえないはずである。(言語でいう運動能力とは、主に、聞くことと、話すことである)
 いきなり、明日から、英語が話せるとか、ドライバーが300ヤード真っ直ぐ飛ぶとか、ギターが普通に弾けるなんてことはありえないわけである。
 そして、その反復練習を恐ろしく繰り返した人がプロとなり大成するわけである。
 言語の場合、プロというのは母国語話者だが、我々が母国語を覚えるのにどれだけの年月が掛かったのだろうか?
 多分、どんなに賢い子供でも、小学校に入るくらいまでの7年ほどは、同じ言葉を何回も耳にして口に出し、ママを見て「パパ」と言ったら訂正され、ようやくそれなりに話しているはずである。
 それも、毎日24時間を数年間それだけをやって、ようやくなんとなく話せるレベルである。
 だから、本屋で「3ヶ月で話せる英語」とか「3ヶ月で100を切るゴルフ」なんて本を見たら、「アホか」以外の感想はない。というか、そういう本を書いているヤツは単なるアホか詐欺師である。もっとも、巷には詐欺師の書いた本が溢れかえっている。
 さらに、イチローやタイガー・ウッズがいまだに練習をしているように、我々は母国語をその後ず〜〜〜〜〜〜〜っと練習し続けている。
 要するに、運動能力は反復練習を永遠に続けないと低下するのである。

 つまり、小学校から英語の勉強をしたって、時間のムダでしかないわけである。
 週に数時間で何ができるというのだ。
 「でも、英語に興味を持たせるくらいは、、、」と言うヤツもいるが、なんで貴重な時間を使って外国語に興味を持たせないといかんのだ?
 そんな事に時間を使うなら、歴史を教えるとか、亀の成育を観察するとか、道路の清掃をするとか、もっと興味を持たせないといけない事が一杯あるはずである。


 このワタクシの中国語は24歳から勉強を始めた。
 上記の通り、外国語会話に反復練習が重要なことは言語学士のこのワタクシとしては判っていた。しかし、時間がない。だから、単位時間当たりの反復量を増やすことで、数年間で、あるレベルには持っていくことができた。でも今の中国語力をもっと良くするのは無理だと思う。もっとも、外国人のこのワタクシがプロ(中国語母国語者)と同じレベルになる必要もないだろう。
 では、なぜ中学校から勉強した英語は数年間で大成しないのに中国語会話は数年間で大成したのか?
 大人になってからの外国語の勉強というのは、子供のときの母国語の習得のときとは違って大きな武器がある。
 それは、母国語が話せるということである。
 考えてみたら判るのだが(というか、この国の英語教育者は決して考えないことだが)、言語というのは、人間が口から発するときに違うことを言っているように見えるが、「人間の脳の中の、言葉を話せ」と命令している場所では、言語や民族に関係なく全ての人間が言葉になる前の共通の概念を持っているはずである。
 「棒の周りに葉っぱが付いたような概念」を言葉にするとき、日本語では「キ」と発音し、英語では「ウッド(のような音)」を発しているだけである。
 日本語話者はその概念を「キ」と発音するように反復練習し、英語話者はその概念を「ウッド(のような音)」で発音するように反復練習してきたわけである。
 子供のときは、「棒の周りに葉っぱが付いたような概念」自体をまず知らないわけで、概念と音のリンクをしていかないといけない。
 一方、大人の場合は、母国語のおかげで「キ」と「ウッド(のような音)」のリンクができるわけである。おまけに文字まで知っている。
 だから、大人になって外国語を学んだ人で母国語を忘れた人を見たことはないが(外国生活が長くて一時的に忘れている人はいるが)、子供のときに外国語の世界にいた人は、よほど親が熱心でないと母国語をうまく話せない。要するに概念と言語の結びつきが別の言語でなされてしまったのだろう。
 「概念と音」のリンクと「音と音=文字と文字」のリンク、誰が考えたって後者の方が簡単だ。
 そして、「音と音=文字と文字」のリンクができていくと、「概念と母国語の音と外国語の音」のリンクが可能になり、最終的に「概念と外国語の音」のリンクが可能になる訳である。だから、母国語を介さなくても、外国語を話せるようになるのである。もちろん、そのレベルに達するには相当な反復練習が必要である。
 結果的に、大人の場合母国語のサポートで外国語の学習は簡単になるわけである。


 ところで、英語と中国語はどちらが難しいのだろうか?
 よく人は「中国語って四声があるでしょう。。。」と言う。
 要するに四声があるから難しいと言うのだ。
 しかしだっ、英語に何声あるか考えた人はあまりいない。
 もちろん、英語の音の変化はアクセントとイントネーションであり、中国語のような声調ではないから一概に比較はできない。
 しかし、例えば、「How are you?」という文のどこが強く発音されますか?というような問題が中学校の試験で出されていたりする。そして、「are」が強いときと「you」が強いときでは意味が変わってしまうのである。そして、「are」も「you」も「How are you?」が「How old are you?」になった瞬間に強さが変わってしまうのである。こんなトリッキーな言語はない。(ここでは例文が簡単なのであまり違和感はないだろうが、実際にはこんな簡単な会話はしていない)
 また、「a」一つ取っても、使われる場所ではまったく違う音になってしまう。「apple」、「early」、「angel」の「a」は全て違うわけだ。
 一方、中国語。
 「ニー・ハオ」(漢字が日本語にないので、本当はよくないのだろうが、カタカナで失礼)というときの「ニー」も「ハオ」も、どんな文章に出てきても声調は変わらない。そして、「ニー」や「ハオ」が何声かをこのワタクシは知らないが、困ったことはない。

 ほとんどの日本人は、「Japanese」という単語の綴りを何十回も書いて覚えたはずである。いや、覚えていないヤツもいるかもしれない。
 「日本人」という単語は、日本語であるが、そのまま中国語である。中国語の世界はそんな単語ばかりである。なんて言うと、必ず例外を出してくるヒネクレ者がいるが、それなら英語で日本語とまったく同じ単語を出してみろと言いたいのである。音が一緒でも文字まで一緒の単語は皆無である。(おっと、別に英語がキライなわけではない、アメリカかぶれはキライだが)
 そして、「日」、「本」、「人」の各々の音は、文章が変わっても同じ音である。
 だから、この三つの単語の発音を覚えただけで、「本日」とか「本人」とかは発音できるわけだ。
 そこで、このワタクシは中国語を習い始めたころ、先生に、大阪の鉄道の駅を全て発音記号で書いてもらったのである。
 そして、通勤時間に電車の中で鉄道の路線図を見ながら「梅田=メイ・ティエン」、「難波=ナン・ボー」、「大阪=ダー・バン」、「心斎橋」、「天王寺」、「上本町」、「北加賀屋」、「京橋」と繰り返し繰り返しブツブツ言っていた。(発音のカタカナは適当)
 すると、もう「大田」も発音できるし、「北京」も「上海」も「新大阪」も「寺田さん」も「天田さん」も発音できる訳である。
 大阪の鉄道路線図といっても恐ろしい数の駅があるので、あっという間に単語の発音を覚えてしまった。

 また、ある時、過去や未来の話がしたくなったので、例えば「我看書。(私は本を読みます)」を過去や未来にする方法を聞いたところ、「文章のどこかに昨日とか明日とか三時間前とかを付けてください」とのことである。
 「三時間前我看書。」、、、以上。
 動詞の過去形とか過去分詞とか不規則変化とかはどこにいったのだ?

 外国語学習において「単語」、「文法」、「発音」は最低限超えなければならない関門である。
 英語と中国語を比較した場合、中国語では「(日本人の場合)単語はほとんど知っている」、「発音はほとんど不規則なし」、「文法は西洋言語ほど(日本人にとって)複雑ではない」訳である。
 何が言いたいかというと、外国語の難易度なんて、相対的なものであり、どの言語を母国語としているかで大きく変わるわけである。
 TOEICの点数が悪いという日本人だが、日本人にとっては強烈に難しい英語の試験に参加している精神を認めてほしいものである。中国語版の同様の試験があれば日本人がぶっちぎるだろう。
 しかし、どういうわけか、日本人の間では「英語は、外国語の中では簡単な言語」という意識がはびこっているような気がしてならない。(ここには敢えて書いていないが、発音に関しては、いかに英語が難しいのかを示すもっと驚愕の事実があるが、別の機会とする)
 もっとも、英語は難しいと判ったからって、勉強する必要のある人は勉強しないといけないのだが。

 なぜか中国語学習法の話になったのだが、フランス語も英語もこのワタクシはある方法を編み出して大人になってから短期間で、ある程度のレベルに到達した。
 いずれにしても、大人になってからの「短期集中+その後の反復練習(それは今でも続けている)」で語学なんてマスターできるものである。できないヤツは、やり方を間違っているか、サボっているかどっちかである。
 詐欺師の書いた「3ヶ月で話せる英語」に対する文句が出ないのは、本当に三ヶ月間続けた人がいないからに他ならないはずである。


 ようやく「言語切り替えスイッチ」の話である。
 ちゅうか、このエントリー、ここまでで十分下手な論文より価値があるんじゃないのか。
 金を取らないといけない。
 フランス語と英語の学習法はもっと凄いよ。ちゅうか、中国語に関してもここに書いただけではない。


 数年前、このワタクシは、月に2回くらい世界一周旅行を毎月続けていた。(参照:「AONORI Flying High」)
 当時の目的地は、ほとんどの場合、北京とパリとロサンジェルスであった。
 日本から飛行機に乗って北京に行くと、当然機内アナウンスは日本語と中国語が使われる。
 だから、このワタクシの出発前の日本語モードは中国語モードに切り替わるのである。
 同様に、北京からパリへの機内アナウンスは、中国語とフランス語なのでこのワタクシも徐々にフランス語モードに切り替わっていき、着陸すると気分は「ボンジュール」である。
 パリからLAも同様である。着陸したときの気分はアメリカンだ。
 
 あるとき、LAからの帰国便でこのワタクシは当初予約していた日系の飛行機に乗り損ねてしまった。
 別の場所から乗ってきた飛行機が遅れたのだが、仕方なくこのワタクシはシンガポール航空の東京行きに切り替えた。
 東京行きの飛行機に乗り込むと、このワタクシは帰国便という安心感もあり既に日本語モードである。
 おまけに、機内で話される言語は「英語」か「日本語」なので、日本語で問題はない。

 シンガポール航空の客室乗務員が、「新聞はいかがですか?」と聞いてきた。
 少なくとも、「脳の中の言葉の概念を判断するところ」は、「新聞はいかがですか?」を理解していた。
 にもかかわらず、脳の中で何らかの異常反応が起こってしまった。
 そして、このワタクシは、咄嗟にフランス語で「ウィ=はい」と答えていたのである。

 なぜこんなことが起こったのか?
 実は、シンガポール航空の客室乗務員が話した言葉は中国語だったのである。
 飛行機は日本行き、体は日本(語)モード。
 予期していた言葉は英語か日本語。
 そこに突然予期していない中国語が飛んできた。
 不幸にして、「脳の中の言葉の概念を判断するところ」はその中国語を理解してしまった。
 しかし、体(この場合、脳から口への指令系統)は中国語を予期していなかった。
 パニックが起こった。
 フランス語が出た。
 多分こういうことだろう。

 昔、カナダのモントリオールに住んでいたとき、フランス語と英語の完全なバイリンガルがたくさんいた。
 彼らは、フランス語で話している最中に別の誰からから英語で話しかけられても絶対に言葉を間違えることはなかった。
 このワタクシの外国語なんてまだまだレベルの低いものだ。
 まったくもって練習不足である。
 あ〜、言語切り替えスイッチがほしい。


(追記)
 そういえば、一時このブログのカテゴリーに「ぱんちょな語学道」というカテゴリーがあった。
 このワタクシの語学習得法を一挙公開しようと思っていたのだが、このワタクシの専門領域である語学関連のエントリーは書くのに時間が掛かるので結局すぐに止めてしまったのである。
 今回書いた話は、語学に悩む人からアドバイスを求められたときに、口頭で話したことのある膨大な話の一部である。
 書いていて、巷の変な本に騙されている人が多いことが凄く気になってきた。
 語学なんてスポーツや音楽と一緒で、「興味」と「楽しい反復練習(←方法は重要)」で、ある程度はなんとかなるものである。
 いつかは、まとめて書いてみたいものである。
 それまでは、タグの「言語」を参照してください。

*このエントリーには、一部携帯電話ではアクセスできないリンクが含まれています。


(関連エントリー)
 「我々の母国語
 「日本語の柔軟性万歳!
 「ロシアの新しい通貨
ラベル:言語
posted by ぱんちょ at 06:11| Comment(20) | TrackBack(0) | ぱんちょな言語エッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ぱんちょ様

不朽の名作です!

“英語が話せればそれだけで国際人だ”という風潮が日本には根強く残っているんですよね〜。

例えば、外国人から日本の歴史について質問されて、たどたどしい英語でもきちんと答えられる人と、流暢な英語でも全く答えられない人、“どちらが真の国際人であるか?”というと、明らかに前者の方だと思うのですがね〜。

さらに、日本在住の外国人の方々とお話をする時でも、その方がどれだけ日本のことを詳しく知っていて、なおかつ日本語を堪能に話せても、その方が母国の歴史や文化のことを全然知らなければ、“おいおい、大丈夫か、この人??”とついつい首を傾げてしまうんですよね。

最近は、小学校、さらには幼稚園から英語教育が行われているなんてことを聞くことがありますが、その前にすべきことがあるような気がしてならない私です。
Posted by ツーシーム at 2008年01月21日 22:43
ぱんちょさま

実は私は大の語学ベタです。
必要に迫られて何度か真剣に勉強したつもりなのですが、うまくいったことはありません。
今まで本屋さんでそれこそ"詐欺師"の書いた本を沢山買ったのですが。
この文章を読んで、初めてなんとなくどこが間違っていたか判ったような気がします。だからといって、どうこうできるわけでもないのですが。
是非とも「ぱんちょな語学道」を再び書いて欲しいです。
Posted by 一ファン at 2008年01月22日 01:41
ツーシームさま

>不朽の名作です!
 いやはやそれほどでも。。。

>“英語が話せればそれだけで国際人だ”という風潮
 このワタクシもそれで飯を食っているので偉そうなことは言えませんが、現実的にはそういう風潮というか、意識はありますよね。

>たどたどしい英語でもきちんと答えられる人と、
>流暢な英語でも全く答えられない人、
 対外国人という状況下において、外国人側が求めているものは彼らに無いものなので、例えば英国人の前で英語が上手く話せることは彼らにとっては得るものは何もありません。
 よって、中身勝負になると思います。
 中身がちゃんとあるのに言葉が通じないのであれば、通訳を使えばよいだけの話だと思います。
 日本にいる外国人についても同様だと思います。

>その前にすべきことがあるような気がしてならない
 同感です。
 しかしながら、これを万人が理解するようにするのは難しいことだと思います。
 戦後教育のおかげで、気付かないうちに、「英語」が「その前にすべきこと」の一番上に行ってしまっていることは否めません。
Posted by ぱんちょ at 2008年01月22日 05:44
一ファンさま
 
 詐欺師に騙されましたか。。。

 語学の場合(でも他の場合でも)、漠然としたゴールを描かないと何をやっても中途半端になると思います。
 「読み書き」が目的であれば、今の日本における英語教育は世界で最高水準だと思います。
 「聞き話す」が目的であれば、現在の学校教育ではどうしようもないので、別の手段が必要だと思います。
 そして、少なくとも、「読む」と「話す」では、文章の長さも使う文法もまったく違うのに、全て一緒に教えられている有様です。
 てなことをもっと詳しく書こうと思っていたのが「ぱんちょな語学道」なのですが、再開に向けて作戦を考えてみます。
Posted by ぱんちょ at 2008年01月22日 05:51
ぱんちょ様

ぱんちょ様改め“教授”と呼ばせて頂いても宜しいでしょうか?
Posted by ツーシーム at 2008年01月22日 07:47
ツーシームさま

 こちらといたしましては、何とお呼びいただいても構いません。

 ちなみに、このワタクシのマレーシア華僑の知人は、このワタクシがある先輩のことを「師匠」と呼んでいたところ、いたく気に入り、いつも「シショー」と呼んでいました。
 あるとき気になって、「師匠」の中国語の意味を聞いてみると、彼らの地域の方言で「(車の)運ちゃん」という意味でした。
 彼は、大先輩をいつも「運ちゃん」呼ばわりしていたのでした。。。
Posted by ぱんちょ at 2008年01月22日 20:15
はじめまして。
北京在住の日本人で日中英を使い分けて生活しているものです。

私も以前、地下鉄の切符売りのおばちゃんが
欧米人に質問されて困っていたところに出くわして
英語で対応したのですが、とっさに英語を話そう話そうとするほど
口から出てくるのは中国語。。。。相手も苦笑してました。

スイッチが変に入ってしまった件、よく分かります。
私は車のマニュアルミッションみたいな印象です。
・回転数高め(テンション高めにまくしたてる)中国語
・一段高いギアで(単語少なく)淡々と英語
・丁寧に半クラでごまかす日本語とか。。。
たまにクラッチが切れてなくてガギーーーと宇宙語が飛び出してきたり(笑
Posted by PPS at 2008年01月23日 04:36
PPSさま

 はじめまして。
 これだけくだらない内容ばかりのブログの、比較的まともなエントリーに反応していただいてありがたい限りです。
 このワタクシもいまだに月に最低1回以上は北京に出没しています。

 やはり同じような経験がありましたか。
 まったく苦も無く切り替えられるようになりたいとは思うものの、結局日本語以外に話せる言語が複数あるとこればかりは仕方がない、ある意味職業病と諦めています。
 話すのもさることながら、良い悪いは別として、漢字は簡体字の方が当然楽なので、最近は日本語の漢字を忘れがちです。それでなくてもPCの普及で漢字を忘れがちになっているのに。。。

 今後ともよろしくお願いいたします
Posted by ぱんちょ at 2008年01月23日 04:51
娘の語学教育に利用させていただきますね。
Posted by 通りすがりのママ at 2008年11月10日 04:07
何事も“継続は力なり”ですね〜。
Posted by 栄こ at 2008年11月10日 04:08
通りすがりのママさま

 参考になれば良いのですが。。。
Posted by ぱんちょ at 2008年11月10日 04:09
栄こさま

 まったくですね。
Posted by ぱんちょ at 2008年11月10日 04:10
私の中で、1年ほど前までは、言語切り替えスイッチは、「日本語」と「外国語」だけでした。
英語を一応それなりに話せるので、「日本語」と「英語」に近かったのですが、韓国語を習い始めてから、混乱が起き始めました。
韓国語の構造は日本語にものすごく近いため、全然にていない英語と韓国語を同じカテゴリーにいれていても、同じように理解することができず、韓国語の先生に、これは英語でいうとこういうことなのか?と無茶な質問をして困らせてしまったり。。。(^_^;)
フランス語を勉強していた時は、英語とフランス語は似ていたので、そんな混乱はおきなかったんですけどね。
最近になって、やっと英語と韓国語を別のスイッチで切り替えることができるようになったのですが。

5ヶ国語のスイッチの切り替えしてるなんて、やっぱり、普通じゃないですよね。。。
3ヶ国語めに挑戦してみて、あらためて、あおまつさんのすごさがわかります。。。
Posted by NAE at 2009年08月24日 02:09
NAEさま

 「言語切り替えスイッチ」は、外国語を2つ以上話せないと必要のないものです。
 外国語を1つしか話せない段階では、もう一つの言語は母国語なので切り替える必要がないからです。


>韓国語の構造は日本語にものすごく近いため、

 そうなのだろうか?
 構造ってのは多分文法のことですね。

>全然にていない英語と韓国語を同じカテゴリーにいれていても、

 むむむ、、、その必要性が理解できず。。。

>英語とフランス語は似ていたので、

 そうなんだろうか。。。
 似ているのは、多分単語のことですね。

>そんな混乱はおきなかったんですけどね。

 似ている方が混乱が起きるような気がするのですが。。。

>5ヶ国語のスイッチの切り替えしてるなんて、

 できなくて、困っとるんですわ。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年08月24日 11:17
> 「言語切り替えスイッチ」は、外国語を2つ以上話せないと必要のないものです。
> 外国語を1つしか話せない段階では、もう一つの言語は母国語なので切り替える必要がないからです。

そうですか・・・
私の中では、英語と日本語でも切り替えがあるんですけどね。

>韓国語の構造は日本語にものすごく近いため、

> そうなのだろうか?
> 構造ってのは多分文法のことですね。

そうです。文法とか、助詞の使い方とか。
あまりに似ていてびっくりしました。


>全然にていない英語と韓国語を同じカテゴリーにいれていても、

> むむむ、、、その必要性が理解できず。。。

分けられなかったんです。勝手に一緒になってたから、自分で整理できずに
困りました。

>英語とフランス語は似ていたので、

> そうなんだろうか。。。
> 似ているのは、多分単語のことですね。

単語もだけど、文法も、フランス語の文法って、英語よりもややこしいけど、
英語がわかってたら、まだ理解しやすい部分があるかと。


>そんな混乱はおきなかったんですけどね。

>似ている方が混乱が起きるような気がするのですが。。。

似てないのに、一緒になってたから混乱が起きたんだとおもってますが。。


>5ヶ国語のスイッチの切り替えしてるなんて、

> できなくて、困っとるんですわ。。。

そっか(^_^;)
Posted by NAE at 2009年08月24日 19:06
NAEさま

>私の中では、英語と日本語でも切り替えがあるんですけどね。

 それは、多分「切り替えスイッチ」ではないと思います。
 母国語に切り替える必要があるとは思えないので。。。
 

>>韓国語
>文法とか、助詞の使い方とか。
>あまりに似ていてびっくりしました。

 なるほど。。。

>>全然にていない英語と韓国語を同じカテゴリーにいれていても、
>> むむむ、、、その必要性が理解できず。。。
>分けられなかったんです。勝手に一緒になってたから、
>自分で整理できずに困りました。

 なるほど。。。

>>英語とフランス語は似ていたので、
>単語もだけど、文法も、フランス語の文法って、英語よりもややこしいけど、
>英語がわかってたら、まだ理解しやすい部分があるかと。

 多分、発想が英語中心になっていますね。
 個人的には、スペイン語がフランス語力を伸ばし、フランス語が英語力を伸ばしたような気がします。
 英語が分かっていることによってフランス語が理解し易かった気はあまりしていないのです。
 もっとも、このワタクシの場合、フランス語だけは、フランス語の国で勉強したのであまりアテにならないかもしれません。。。

>似てないのに、一緒になってたから混乱が起きたんだとおもってますが。。

 似ていないのに一緒になるという点がよく分からんのですわ。
 自分の頭の中で、スペイン語と中国語が混乱するとは到底思えんのです。
 (自分の話せる言語で)中国語と激突するのは日本語しかありえないのです。

>>>5ヶ国語のスイッチの切り替えしてるなんて、
>>できなくて、困っとるんですわ。。。
>そっか(^_^;)

 そうです。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年08月25日 04:33
これは凄いです。
Posted by 46 at 2009年09月05日 00:03
46さま

ありがたきお言葉。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年09月05日 00:58
不自由なく話せる言語の「不自由の無い」順番は、日本語>フランス語>中国語>スペイン語>英語である。
とのことだけど、頭の中が混乱しない??

Posted by 竹下 at 2011年10月21日 07:06
>頭の中が混乱しない??

 そのことについて、このエントリーにずっと書いたのですが。。。
Posted by ぱんちょ at 2011年10月21日 13:04
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