ぱんちょなプロフィール
ぱんちょなスケジュール
ぱんちょなテレビ出演
ぱんちょなつぶやき
ぱんちょな写真集
人気のタグ
iPhone iPad 言語 男女の機微 タイガース 野球 携帯電話
ぱんちょなキャンペーン

2007年05月25日

昔住んでいたところ

 ボクの年齢がまだ一桁の頃、我が家は何度も何度も引越を繰り返した。
 単に引越が好きだったのかといえばそういうわけでもなく、別の理由があったような気がする。

 それでも、3歳から6歳くらいまでの間は、珍しく3年も同じところに住んだことがある。
 それ以前については、自分の記憶にはほとんどないが、数ヶ月単位で大阪府内で転々と引越を繰り返していたようだ。6歳の後半に引越して行ったところも半年で次の場所に移っていった。

 先日、その3年も住んでいた所がどうなっているのか急に知りたくなり、たまたま大阪に行ったときに時間を作って尋ねてみた。
 といっても、そもそも記憶自体がアヤフヤなので辿り着けるかどうかも判らなかった。
 大阪市内を転々とした後、我が家は大阪府下を転々としたのだが、必ず引っ越すときは東に移動するのであった。
 その3年も住んだ場所は、東西に狭い大阪府の東の端の、奈良県との府県境にある信貴山の麓に近い八尾市の東の方だった。
 
 阪神高速を下りて外環状線を南下し、花園ラグビー場を右に見ながら八尾市に突入した。
 どこかで右に曲がれば目的地はすぐ近くである。
 、、、が、どこで曲がって良いのかがまったく判らない。
 しばらく行くと、近鉄信貴線の高架をくぐってしまった。
 これは明らかに行き過ぎである。

 何か目印になるものはないかと考えたのだがなかなか何も思い出さない。
 しばらくして、自分でも30年以上忘れていたことを思い出した。
 ボクは、その家にいるときに小学校に入ったのだった。小学校の間に何回も転校しているのですっかり忘れていた。
 カーナビで自分の入学していた小学校を目的地に指定し、ナビの導くまま小学校に辿り着いた。
 こんな学校だったかな〜、としか言いようのない校舎が目の前に出現した。
 車をコインパーキングに止めて、辺りを歩いてみることにした。
 通学路を思い出せば、家が判るはずである。

 しばらく歩いていると子供の頃喘息だったボクが通院していた病院があった。
 というか、たまたま見つけた病院の看板が、一瞬にして、毎日咳き込んでいた自分の幼少時代を思い出させたのであった。
 そう言えば、風邪を引くたびにこの病院に連れていかれ、注射されそうになると、病気にもかかわらず、泣きながら病院内を所狭しと走っていたんだった。いまだに注射は大嫌いである。
 そして、この病院の飼っていた犬にちょっかいを出した結果、お尻を噛まれたことも思い出した。
 あれ以来犬は大嫌いだし、大きな犬であろうが子犬であろうが、道で出くわすとこんな大人になっても、避けるように行動してしまうのである。

 病院がこっちにあるということは、家は学校を挟んだ反対側である、ということを連鎖的に思い出した。
 頭の奥に追いやっていた記憶をこれだけ瞬間的に思い出す自分にも我ながら驚いた。
 学校の反対側に回ってみると、なんとなくではあるが、この道を通学していたんだろうというような記憶が蘇ってきた。
 誰もがよく言うように、子供の頃に広く見えた道も今見ればすごく小さく見える。
 その後、辺りをくまなく歩いてみたが、家のあった場所がどうしても思い出せない。
 しばらく進むとお寺があった。

 そのお寺の入り口を見た瞬間、別の記憶が蘇ってきた。
 ボクが小学校に入学した最初の夏休みに、ボクは、夏休みの最初の日から約一ヶ月近く母方の祖父の家に行っていた。多分、何らかの理由で預けられていたのだろう。
 夏休みもいよいよ終わりかというある深夜、突然祖父の家が慌しくなり、ボクと祖父母だけでなく母の兄弟やら全員をライトバンに無理やり詰め込んで、大阪に向かうことになった。
 早朝ボクが見たのは、この3年間住んでいた家のすぐ近くに住んでいた父方の祖父の既に息をしていない姿であった。
 50代だった祖父は病気で急死したのである。
 ボクが見たお寺で祖父の葬儀を行ったのであった。その頃のボクにはよく意味が判ってはいなかったのだが。
 今となっては、祖父の記憶は、あのときの死んでいる姿だけである。もっとも、その姿もずっと忘れていたのだが。
 それから約20年経って、父が50代で急死したときも、死んだあと対面しただけであった。

 お寺の裏に、古いマンションが建っていた。
 あっ、とボクは再びとんでもないことを思い出した。
 ボクは、6歳で入学した小学校を最初の一学期しか行っていない。
 つまり、祖父の死んだ直後に夏休みが終わって、二学期の最初の日にお別れの挨拶をしに登校しただけで、別の学校に転校してしまったのである。
 その古い(当時は新しかったと思う)マンションには同じクラスの女の子が住んでいて、そのマンションの屋上でよく二人で遊んでいたのであった。
 葬式のあと家族がバタバタしている中、小学校一年生のボクは、今までと同じようにその女の子と遊んでいた。
 これは、もう少し年を取ってくると、付き合っているという状態だったのかもしれない。
 多分、二人は相思相愛だったと思う。
 しかし、ボクが彼女に好きだということもなく、彼女からもそう言うことなく、突然ボクは転校することになった。
 二学期の最初の日のあとも二人はマンションの屋上にいた。
 どうやって彼女とさようならをしたのかなんてまったく覚えていないが、少なくとも、彼女が好きだということを言葉に出すこともなく離れ離れになったことだけは確かである。
 それから数十年、ボクは、好きな女性ができて、その女性と四六時中一緒にいるようになっても、言葉で表現することはできない。その結果、待ちくたびれ(たと言っ)て去っていった女性が何人もいる。

 結局、そのあと、数十分辺りを探し回ったが、住んでいたところは遂に見つからなかった。
 しかし、あの僅かな時間を過ごした場所に来てみただけで、その時間がその後の自分にかなりの影響を与えている気がして怖くなってきた。注射嫌いなことも、犬が嫌いなことも、いまだに独身であることも。。。
 ひょっとすると、これ以上この辺りにいることで、記憶の底に封印しているものをもっと思い出してしまうのかもしれない。

 ボクは、自分の頭の奥にあるものに再び蓋をするように、黙ってその街を立ち去った。
posted by ぱんちょ at 01:36| Comment(11) | TrackBack(0) | ぱんちょなエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
みんな同じようなことしてるんですね。
私は、東京と仙台で住んでたところは見つけられたんですけど、やっぱりすべてがサイズダウンして見えました。
ちなみに、バタバタの引っ越しっていうのも経験しましたが、あぁいう時の子供って本当に無力なもんですね。
Posted by miha at 2007年06月06日 12:21
mihaさま、

 思い出とは、あえて蓋を開けるものではない、と思う今日この頃です。。。
Posted by ぱんちょ at 2007年06月08日 13:07
何度もすみません。
この記事で、当方の思い出のフタが開いてしまって、どうしても書きたくなってしまいました。
恥ずかしいので、別のコソコソサイトにコッソリ。
http://miha27.seesaa.net/article/44472356.html

書いたので、安心して、またフタします。。。
Posted by miha at 2007年06月11日 16:40
転勤族だったんですね…。
Posted by 月山 at 2009年05月02日 05:54
月山さま

 なんかちょっと違うような。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年05月03日 02:12
しんみりとした文章…。
これが創作ならあおのりさんに抗議しまっせ〜!(笑)
Posted by 月山 at 2009年09月23日 12:32
月山さま

 当然ながら、、、創作です。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年09月23日 22:59
 ていうか、これ、素人の文章とは思えないくらいです。
 感動したー (小泉)
Posted by 小泉 at 2009年09月23日 23:32
臭いものには蓋をしろと。。。
Posted by 46 at 2009年09月23日 23:51
小泉さま

 まったくもって素人です。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年09月24日 01:39
46さま

 まったくです。。。
Posted by ぱんちょ at 2009年09月24日 01:40
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
このブログの更新情報をメールで一日一回お届けします





ぱんちょに一言
info@aomatsunoriaki.com

@は小文字に変換してください


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。